本当は書かれる予定のなかったイベントレポート

概要

 今となっては知らぬ仲ではない吉村麻之氏主催のイベント「山手線全域ドロケイツアー」のレポート記事である。

 実のところ、この記事が書かれる予定はなかった。僕が基本的にこういうものを記さない人間だからだ。今回この記事を書くことになった理由はひとつ。「主催の吉村氏のレポートに僕の名前が出ている」からだ(ちなみに、最初にレポートをあげたらび助氏の記事にも僕の名前がでている)。
(追記:今まで気づいていなかったが吉村氏主催のイベントシリーズにおいて、僕が参加しているものは全て氏本人のレポートに僕の名前が出ていた。なぜか。)

 さて、本来ならばレポートというものはその場にいた人間が感じた空気であったり、臨場感であったりを表現するものだと思うが、そういうものは他に書く人がいるだろう(僕が普段こういうものを記さない理由でもある)から、ここではできるだけ主観性を排除し事実のみを記すことにしたい(ただし人間の記憶など、ましてや僕の記憶など、信用にたるものではないということを付記しておく)。また、記録の他に今回採用されたルールについての考察も少しだけ記すことにする。

参加登録の話

 らび助氏のレポートでは、

今回は応募が始まったと同時に即応募、
もしかして一番ノリかなうずうずとかしてたら、
文字通り『神』速のrisouさんに抜かされていました(何

http://rabisukeryokan999.blog53.fc2.com/blog-entry-109.html

と書かれているが、こちらも一番を狙っていたがためにこうなった。登録開始後すぐに登録することで、「興味あるけど……」という層を刺激することが目的だったので、次回はらび助氏に一番に登録していただきたい。

 また、一人での参加を考えたが「もしかしたら僕と一緒なら参加しようって人もいるかも」と思い募集したところ、一人では参加条件を満たせないきり氏が声をかけてくれたので、あとは能力を補完する目的でjohnny氏を含め、3人での登録となった。

前日までの準備

 きり氏の宿泊場所でもある自宅の掃除などをしつつ、登録直後から考えていたことは「逃げる側になった時に、どう逃げるか」である。このゲーム、チーム全体で見れば「チーム内での指示」が明確にできない以上逃げる側が有利だが、個人レベルで見れば最初からずっと狙われ続けた人間が逃げ切るには時間が長い。僕はずっと自分が狙われ続ける可能性を考えていて、その際に3時間を逃げ切る方法についてはいくつかの案を出し、イベント前々日にはきり氏と作戦の相談をしておいた。ちなみに追う側になった時のことは考えなかった。

 結局、作戦としては「公園を有効活用する」「複数の駅に同程度にアクセスしやすい場所をベースに動く」というもので、具体的には新宿の北東と南東のどちらかにいく作戦であった。

第一戦

 当日は、上野駅近くに集合してチーム分け等を行い、その後午前と午後で計二戦を行った。第一戦は逃げる側、第二戦は追う側だった。

 第一戦においては、吉村氏のレポートにも詳細に書かれているが、僕たちは吉村氏に終われ続けることになった。逃げる側の視点でのレポートを記そう(この記事の一番の目的である)。この項の内容は吉村氏のレポートとあわせて読むと面白いだろう。

 蛇足だが、吉村氏のレポートに、

司令塔(と勝手に想定している)のrisouさん

http://mukiryokukan2.sakura.ne.jp/YET_7th_DoroKei/report/01.htm

と書かれているが、そもそも逃げる側に司令も統率もなかった(皆散らばろうね、くらいの話しかなかった)。

 最初、僕たちは作戦通り新宿御苑に向かった。ちょうど新宿で降りた直後に開始30分が経過し追う側が動きだした。その動きを定期的に確認しつつ、風が強いながらも悪くない天気のもと、新宿御苑まで歩いた。

 この時点で敵のうちこちらを狙っていそうなのは新宿、千駄ヶ谷あたりにいる数組であった。ひとまずは四ツ谷方面に逃げることを想定して新宿御苑から北上。途中で東に折れる予定だった。

 が、位置情報を確認しながら歩いていると、吉村氏が四ツ谷駅あたりで止まっていることに気づいた。四ツ谷で降りた可能性がある。その場合、最も近くにいるターゲットの一人である僕たちは狙われていると考えた方が良いだろう。

 さて、東、西、南には敵がいる。三方を囲まれる形になったが北に逃げれば問題ない。という考えとは別に、思考の中には「開始前に配られた封筒」があった。これは開始後1時間30分の時点で開封することが指示されていて、おそらく中には「こなすべきミッション」が記されているのだろうと予想された。過去の傾向などから考えてミッションの内容は「指定された場所の写真を撮影してネットにあげる」である可能性が高かった。つまり、逃げながらも「指定された場所」にアクセスしやすい位置どりをしなければならなかった。この時点で明確に僕たちを狙っているのは東の吉村氏だけだったので、とりあえずは北ではなく西、新宿方面に逃げることにした。

 そして、開始から1時間30分が経過。封筒を開けるとそこには予想通りの指令があった。

一時間以内に、"東京駅、水道橋駅、四谷駅、千駄ヶ谷駅新宿駅"いずれかの"JRの自動改札機"を携帯電話で撮影し、ツイートで報告せよ。

http://mukiryokukan2.sakura.ne.jp/YET_7th_DoroKei/report/01.htm

 この内容に対して最初に考えたのは「東京駅、新宿駅は追う側が多く集まるだろう」ということ。そこでまずは千駄ヶ谷駅を目標とし、進行方向を南へと変えた。当然この時も吉村氏はこちらに迫っており、追いつかれないように移動する必要があった。南に移動しながら追跡してくる吉村氏の位置を確認。同時に目標地点たる千駄ヶ谷駅周辺に誰がいるかも確認していた。

 Uターンする形で新宿御苑の北東の端まで戻ってきたあたりで、千駄ヶ谷駅に張っているであろう敵の存在が無視できなくなった。北からは吉村氏が迫り、南は千駄ヶ谷駅で敵が待ち受け、西を見れば新宿御苑の西の端あたりにこちらに向かってくる敵影があり。そしてあいにく、東に進む道はなかった。とりあえずは改札撮影のため千駄ヶ谷駅に近づこうと、僕たちは一縷の望みを託して新宿御苑に飛び込んだ。

 が、ここで入ったのは新宿御苑の駐車場。北から入り、南に出口があれば……と思ったが、どうやら入ったところ以外に出入り口はない様子。さすがにフェンスを飛び越えるのはアンフェアだろう(僕一人ならやったかもしれないが)。これは詰んだか……と思いながら駐車場を一周して元の場所に戻る。吉村氏がかなり近い。

 この時点で写真撮影はかなり諦めており、「一人でも多くの敵をひきつけて捕まる」ことを目標として、新宿御苑の北の端を東西に走る遊歩道(無料エリア)に入った。まっすぐ西に進む道。この先には新宿駅から来る敵がいる。己が挟撃される様を位置情報で確認しながら歩いていたら、追ってきていたはずの吉村氏が新宿御苑に入らずそのまま南下して千駄ヶ谷駅に向かっていることに気づいた。理由はわからないが、この状況なら北に逃げられる。僕たちは遊歩道の真ん中あたりで新宿御苑を出てそのまま北に直進した。

 吉村氏のレポートによるとこの時、

住宅街バリアにより新宿御苑に全く入れない。

http://mukiryokukan2.sakura.ne.jp/YET_7th_DoroKei/report/01.htm

という面白い状況になっていたらしく、ここで吉村氏が南下したおかげで僕たちは助かったといえる。

 その後、北上して追っ手との距離がある程度開いた時点で、僕たちは次の行動指針を決めることになった。逃げるためにはこのまま北上しなければならず、しかし写真撮影を諦めないのであれば新宿駅に向かうしかなかった。他の駅に向かうには制限時間が近づきすぎていたのだ。歩を緩めることなく状況を整理し、途中で西に折れて新宿駅に北東から接近する計画へと移行した。

 新宿駅は改札が多い。山手線の内側からアクセスできる改札は限られているがそれでも複数ある。どの改札を狙うか、どのルートで接近するか、きり氏が頭の中にある地図を元にプランを提示してくれる。関東在住の僕より地理に明るい。写真撮影ミッションに残された時間は20分程度。プランどおりのルートで移動すると新宿駅への到着はギリギリになる。

 新宿駅が見えてきた頃、駅周辺には既に5,6チームの敵が張っていた。千駄ヶ谷から電車で移動したであろう吉村氏もいる。「俺に固執するその攻め方、それが敗因だな」と思いつつ、可能な限り人混みに紛れるよう歩を進めた。

 ここが勝負どころだ。できる限りの手を打とう。

 相手はこちらがスーツの上に黒のロングコートを着ていることを知っている。ならば、コートを脱ごう。さらにジャケットも脱ぎ、上半身は白のワイシャツに水色のネクタイ。これだけでもかなり印象を変えることができただろう。そして東口の改札に接近する。もちろん、衣装をごまかそうがサングラスをかけた男が改札にスマートフォンを向けて写真を撮ろうという姿は目につきやすい。ここできり氏にスマートフォンを託す。操作方法を教え、数歩先を行ってもらう。改札が視認できる位置についたら、こちらはそれ以上動かずスーツでもなくサングラスもかけていないきり氏に改札の写真を撮ってもらう。撮影が終わると同時に踵を返し、山手線の線路に沿うように新宿駅を脱出した。
 移動しながら写真をツイート。制限時間まで3分を残してミッションを達成した。この時点で勝利を確信し、僕たちはゆっくりと駅から離れるように北へと歩を進めた。足への疲労もありできれば電車に乗ろうと新大久保駅を目指したが、敵の何人かが電車で新大久保駅に向かう様子を見て東に方向転換。そのままゲーム終了時間までゆっくりと北東に進んだ。

休憩

 第一戦を逃げ切った僕たちは、タクシーで四ツ谷駅に向かい、そこから電車で合流地点の上野へと向かった。第二戦の開始時間を確認し、昼食をとる。

第二戦

 第二戦は追う側だった。こちらは対象となる逃げる側のレポートもないので、自チームの動きではなくチーム全体が実際に展開した戦術について主に記すことにする。

 追う側は逃げる側の開始から30分の間スタート地点で待機することになっている。この時間にどう動くかを皆で協議した。

 自分が逃げた体験からも、闇雲に追いかけることの無謀さはわかっていた。僕はいろいろ考慮してひとつの作戦を提案した。ゲリラ戦術だ。全体をいくつかのチームにわけ、チームごとに目標を囲うことで効率的に捕まえる作戦である。

 追う側は18チームからなる集団だったので、それを4、5チームごとに4つにわけた。最初のターゲットは高町ぐずり、ひなたもみじチーム、杜若シズチーム、ロキルスの4チーム10人となった。高町氏(この表現、すごい違和感である)については、「捕まえたい」というファンの要望を受け入れた結果だ。同様にロキルス君についても、「ラスボスに挑みたい」という要望に応えた。ただ、僕はこの作戦で彼を捕まえるのは難しいと思っていたので、「ロキルス君を捕まえるなら4チームでは足りない。最低でも8チームは必要だ」と伝え、それだけの人数を対ロキルスに回すと、他の敵を捕まえられないから頑張ってね、ということも伝えた。残りの2チームをターゲットとした理由は至極簡単で、人数が多かったからだ。人数が多い方が動きが遅いだろう、というだけの判断である。

 実際、皆この戦術に忠実に動いてくれたので、前半(1時間30分)の確保人数だけ見れば、第一戦より多い。吉村氏が主催であるにもかかわらずスルーされたのも、この戦術があったことが大きいだろう。

 ただし、この作戦には大きな問題があった。それは、「ゲリラ戦術は、個々のチームの判断への依存が大きくなる」ことだ。この戦術を採択したことが、後半の1時間30分で戦果が振るわなかった要因の一つだろう。また、ルールとして「人に指図してはいけない」というものがあったことも大きい。このルールは各自の判断を尊重する目的なので、ある程度僕が他チームに指示しても良かったのかもしれないが、こういうイベントで「自ら考える」ことを経験しないのはもったいない、と僕自身が考えていることもあり、僕からは指示を出さないようにした。僕からアドバイスできたのは以下の一言のみである。

 ゲリラ戦術が後半有効に機能しなかったことは、その時間帯の Twitter のログをみればわかる。初期ターゲットを確保したあと、 Twitter で指示を仰ぐ人は少なくなかった。これが僕が先のツイートをした理由でもある。追うチームにも逃げるチームにもリーダーはいないのだ。「各自で考えよ! 君が指示を仰ぐべき上官・指揮官はいない!」とかツイートすべきだったかもしれない。結果的には「残り1時間になったら主催の吉村氏の確保にまわる」というもう一つの作戦のおかげでその後もそれなりに動けたようではあったが。

 また、逃げる側もアローフォーメーションという作戦を考えていたようだ。立案者の吉村氏は「戦略的効果はない」と言っているが、実はこの作戦は2つの点で有効に作用していた。

 一つは、参加者の中でも知名度の高い吉村氏、高町氏の両氏を孤立させたことだ。吉村氏の単騎北上は効果を発揮しなかったが、初期ターゲットの一人として高町氏を選んでいたこちら側にとって、高町氏一人が南下し、他のほとんどの敵が新宿へ向かった事実は大きな影響を与えた。目論見どおり早い段階で高町氏を確保することには成功しているが、その後山手線内の北側に敵のほとんどがいるにもかかわらず、こちらの1/4は山手線の南端にいるという状況になり、他の敵へのアプローチに時間がかかってしまったのだ。また、開始1時間30分の時点で開封されるミッションが「1時間後の時点で総武線より北にいなければならない」というものだったことも影響している。

 もう一つは、ほとんどが新宿で降り、そこから北東方向へ移動したこと。これによって、1チームを捕まえてから他のチームを捕まえようとしたとき、こちら側のチームの多くは新宿の北東あたりにいるのにたいし、敵の多くがさらに北東(上野寄り)に位置することになってしまった。結果として思うように囲むことができず、後半の確保数が予定より少なくなってしまった。

 ちなみに僕がラスボスと称したロキルス君は、最初4チームに追われ、その後追っ手が8チームくらいまで増えたが捕らえられなかった。これはもうさすがという他ない。「自分が詳しい土地を戦場に選んだこと」ももちろんだが、「あの数に囲まれても余裕を保てる胆力」もすごい。が、まあこれは予想通りではある。彼を捕らえようと思えば、8チームだけではなく、僕のような人間のリアルタイムな指揮が必要だったに違いない。ついでに(最終的に8チームも動員した)ロキルス君が戦場に選んだのが渋谷周辺だったことも、敵にとっては良い結果へとつながったといえるだろう。

 まあそんなわけで第二戦では思うように確保できなかった。

あるはずのない次があるなら

次回の開催も簡単に検討は出来そう。

http://mukiryokukan2.sakura.ne.jp/YET_7th_DoroKei/report/02.htm

 本当に次回開催があるとは一切思っていないが、もしやるならルール検討にかかわらせてほしいですね。でなければ、今度は自チームの指揮をとってしまうかもしれない。